「カキフライはじめました」。
10月になると各食堂には、なんとも食欲そそる案内札が下げられる。
食べたい。
今すぐにもカキフライを食べたい。
思いはつのり、爆発しそうになるが、ぐっとこらえる。
あえて年を越え、肥えてうまくなるまで待つのである。隣の客が食べているのを、横目で見ながら、ひりひりと我慢するのである。
それはつらい。
つらいだけに、1月に自己解禁したカキフライは、一層うまくなる。
ここ十年間は、そうして生きてきた。
新年のカキフライ開きはどの店にしようか? 年末に思いを巡らすのがたまらない。
今年は京橋の「レストランサカキ」にした。
座るなり、「カ。カキフライ下さい」と、叫ぶように注文する。
店員は少し驚いた様子だった。
さあ、目の前に揚げたてのカキフライが運ばれた。
茶色い衣に包まれた、ふっくらとまあるいお姿に、目を細める。
この豊満な体の中に、エキスをため込んでいるのかと思うと、喉が鳴り、腹が鳴る。
一つとる。
最初はなにもつけずに、そのままガブリと齧る。
いやここは、ゆっくりと噛もう。
歯は、香ばしい衣に当たって、カリリと小さな音を立て、牡蠣にめり込んでいく。
その瞬間、甘い、ミルキーな海の滋養が、じんわりと舌に広がっていく。
「サカキ」のカキフライは、小ぶりな牡蠣を二個抱き合わせて揚げてある。
それゆえに、一個を揚げるよりもさらにエキスが豊かで濃く、幸せも倍増する。
また、二個の牡蠣が抱き合って触れているあたりが、まだ半生の気配があって、心を焦らす。
一個を素のまま食べたら、次は塩をつける。
塩と出会えば甘みが際立ち、顔が崩れる。
さらにそこへレモンを絞れば、爽やかな酸味は加わって、滋味に色気が刺す。レモンは一齧りしたところで、噛み口にかけてやるのもいい。
衣が湿気ることなく、なによりレモンの汁でてらてらと輝く牡蠣の艶に、コーフンしてしまう。
ここで一旦キャベツやポテサラを食べ、気持ちを落ち着かせる。
よし次はタルタルソースを、たっぷりからめて食べてやる。
さすれば、タルタルのうま味と牡蠣のうま味が抱き合って、猛然とご飯が恋しくなる。
ああ。
幸せにうっとりと目を閉じ、海の豊穣が舌を過ぎ、喉元に落ち、身体の底へ落ちていくのを、噛みしめる。
胸のあたりがカキフライの熱で、うららかな春の日差しのように温まっている。
その温もりこそ、「私の養分を食べて」という牡蠣の願いなのだ。